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江戸からずっと・・・
日本橋に残る江戸の風景のかけら
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江戸から明治にかけ、このあたりはにぎやかな繁華街で、迷子も多かったようだ。
当時迷子は地元の人たちが責任を持って面倒をみる習慣だったため、地元の町民たちにより安政4年にこの「満よひ子の志るべ」が作られた。
石柱の脇の窪みに迷子の特徴を書いた紙を貼って、心当たりのある人と情報を交換しあって利用したらしい。
湯島と浅草にも同じようなものがあったけれど、現存するのはここだけ。
江戸時代からここでずっと街を見続けていたのかと思うと、ちょっと感慨深いものがあります。
by nobulinn | 2013-04-10 23:27 | その他東京23区 | Comments(10)
Commented by surigon at 2013-04-11 07:57
いつの時代にも迷子はいるのですね^^;
私は迷子にならないタイプでしたが、妹は・・・
買い物のたびに迷子でした~
Commented by ほしがき at 2013-04-11 15:45 x
江戸時代は、想像以上に人情が豊かだったのですね。
超過密の街でしたが、人との絆を大事にしていたのに違いありません。
親が見つからなかった場合はどうしたのか気になります。
Commented by yattokamedagaya at 2013-04-11 20:23
山本一力さんの小説かな?そういう話を読んだことがありますね。
長屋の差配さんが世話をした子供のその後の話。
ちゃんと覚えていないところが情けないんですが(笑)。
時代劇では書き表わせていない人情と
それを実現させる素晴らしいシステムがあったようなんですね。
Commented by mfak at 2013-04-11 21:20
ふむふむなるほど、こんばんは。

泉鏡花の『日本橋』を読んだあとで初めて訪れた一石橋、
横目にいれながらもサララッと通り過ぎてしまいました。反省反省。
Commented by nobulinn at 2013-04-14 23:10
surigonさん
こんばんは。
そうですか・・・
姉妹でもタイプが違うものなのですね~。
私は引っ込み思案でいつも親と手をつないでいるような子供でしたから、やっぱり迷子になった記憶はありません。
ここ数年、迷子はしょっちゅうになりましたけれど・・・(^^;)
Commented by nobulinn at 2013-04-14 23:15
ほしがきさん
こんばんは。
そうですね。
こんな石碑が街の人の手で作られたのですから、人情味を感じます。
落語にもあるようですが、親が見つからない子は自分の子供のようにして育てることもあったようですね。
Commented by nobulinn at 2013-04-14 23:20
yattokamedagayaさん
こんばんは。
山本一力さんの小説にありましたか~。
時代小説は池波正太郎を少し読んだことがあるくらいで疎いのですが・・・
落語の演目にも同じような話があるようですよ。
江戸の街には厚い人情があったのですね・・・
Commented by nobulinn at 2013-04-14 23:26
mfakさん
こんばんは。
泉鏡花ですか!
皆さん、読書家ですね。
このあたりがにぎやかな繁華街だった頃の風景を思い浮かべながら歩いてみるのも楽しいかもしれませんね(^^)
Commented by kerosanba-kero at 2013-04-17 15:51
この石柱のお話、先日テレビの時代劇で見ましたよ
(ここの物かどうかははっきり覚えていないのですが・・・)
今も残されているのですね~
 町の伝言板 みたいな物なのでしょうけれど
江戸時代ってエコだし人情あふれる町だったのでしょうね。
Commented by nobulinn at 2013-04-18 06:04
kerosanba-keroさん
こちらにもありがとうございます。
時代劇にこの石柱の話が出てきたのですか?
他の地域の事は知りませんが、都内には浅草と湯島と、ここ一石橋にあったようなんです。
今もこうして残っているのはここだけですが、なんだかすごいことですよね~・・・
時代を振り返ってみると、江戸時代はなんとなく面白そうな時代だったのかな~と思うことがあります。
江戸の町民はみんなで助け合って生きていたのでしょうね。
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